法話 〜3分間心のティータイム〜イメージ

【第764話】 「吾れ死なば」        2009(平成21)年3月11日-20日

 お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第764話です。

 ―吾れ死なば 焼くな埋(う)むな野に晒(さら)せ 痩(や)せたる犬の腹肥やせ―「私が死んだら土葬も火葬も必要ない。野晒しにして、腹のすかした犬に喰わせてくれ」という意味の壮絶な歌です。この作者の名を聞いて更に驚きです。平安時代の歌人で伝説の美女と言われた「小野小町」なのです。並み並みならぬ覚悟です。また、この時代の一般の葬送の儀礼は、どのようなものだったのかと想像したくもなります。

 さて、今や納棺師が世界に認められる時代になりました。映画「おくりびと」が、日本初となるアカデミー賞外国語映画賞を受賞して、国内は勿論、海外でも改めて、遺体を清めて棺に納める「納棺師」が、脚光を浴びています。それに伴って、様々な意見も出ています。

 新聞の投書で、ある僧侶は「昔、死者は家族によって、棺に納められました。悲しみをこらえながら、それらの仕事をして、家族の死の重みを心に刻むものでもありました。お金を払って納棺師に任せることで、つらい仕事をしなくて済むのですが、同時に大事なものを失っているのではないか」と述べています。

 また、ある女性はやはり新聞投書に、「父と母を亡くした時、きれいに体を洗ってくれて洗髪し旅立つ装束を着せる際に遺族も手伝いました。両親は病院では酸素マスクなどをされ、苦しそうな表情でしたが、納棺師の方々によって見慣れた顔に戻りました。私は納棺師の方々のおかげで、悲しみが癒されました」と書いています。

 どちらも一理ある意見と言えます。自宅で最期を迎える人は少なく、ほとんどが病院で息を引き取る昨今です。遺族がその場に立ち会えないことも多いでしょう。そして遺体を棺に納める時も他人任せでは、家庭から死の影が薄れ、死そのものがどこかよその世界の出来事と錯覚しかねません。

 ところで、「おくりびと」の英語の題名は「デパーチャーズ」で「旅立ち」を意味するものです。安心してその旅立ちを見送ることができた時、少しは悲しみが癒えるのではないでしょうか。それは苦しそうなお顔ではなく、安らぎに満ちたお姿を見送るときです。納棺師さんの所作は、遺族だけではとても成し得ない立派な旅立ちのお手伝いをして、あまりあるものとみました。
―吾れ死なば 子孫(こまご)ばかりか犬猫(いぬねこ)も 別れ惜しみて棺に寄り添え―

ここでご報告いたします。2月のカンボジア・エコー募金は、260回×3円で780円でした。ありがとうございました。それでは又、3月21日よりお耳にかかりましょう。

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