法話 〜3分間心のティータイム〜イメージ

第757話 「牛ドン..(首領)おかわり」(2009.1.1-1.10)

お元気ですか。3分間心のティータイム。徳本寺テレホン法話、その第757話です。

あけましておめでとうございます。今年はうし年ですが、「牛の耳」と書いて「牛耳る」という言葉があります。元々は「牛耳を執る」ということだそうです。その語源は中国の春秋戦国時代に、諸国の君主が同盟を結ぶ儀式のとき、盟主となる者が牛の耳を割いて血を採り、これを順番にすすって同盟を誓ったという故事から来ています。

お正月早々いささか野蛮な話で恐縮ですが、ここから「牛耳を執る」とは、同盟や団体の支配者となることを意味するようになりました。転じて、組織などを自分の意のままに動かすことを「牛耳る」というわけです。

さて、春秋時代から千年も経た今から約千五百年前、達磨大師がインドから中国に渡り、禅の教えを伝えました。その時、神光(しんこう)という修行僧が達磨大師に弟子入りを志願しました。神光はその求道心の篤きことを示すために、牛の耳ならぬ、自らの左の臂(ひじ)を断って、達磨大師に懇願されました。

そして神光は尋ねます。「私の心は不安定な有様です。どうしたら安らかな心になるのでしょうか」「その不安な心をここに出してみなさい」「いや、今ここに持ち出すことはできません」「不安な心を持ち出すことができないとわかったということが、安心を得たということだ」と、達磨大師は答えられたといいます。

自分中心の考え方が、妄想分別を生じさせます。好きだと思っていたのに嫌われた。得したいと思っていたのに損をした。すべて自分中心に事が運ばない時に、不安は募ります。そして、他人の迷惑を顧みず、自分の思いを勝手に通そうとすることを「我がまま」といいます。

中国の春秋時代、諸国の君主が同盟を結んだように、好きだ嫌いだ、損した得したという自分の我がままな心を束ねてコントロールしたい、いわば牛耳りたいものです。そのために臂を断てとは言いません。せめてうし年の今年は、もう少しのんびりと自分の心を反芻(はんすう)して見つめ直すことがいいのではないでしょうか。

自分の我がままな心を牛耳って、他のために尽くせる心の大きなボス的存在の人を、まさに牛ドン..(首領)と呼びましょうか。誰からも大盛りの"おかわり"を所望されることでしょう。

それでは又、1月11日よりお耳にかかりましょう。

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